女優の工藤夕貴さんの父親は、有名な演歌歌手の「井沢八郎(いざわはちろう)」さんであることは有名ですよね。
井沢八郎さんといえば、穏やかな笑顔ノイメージがありますが、「酒乱」「未成年淫行」などの裏の顔もあったことが知られています。
今回は、井沢八郎さんの波乱万丈な生涯についてご紹介していきます。
【工藤夕貴の父親】井沢八郎は
井沢八郎のプロフィール
本名:工藤金一
生涯:1937年3月18日ー2007年1月17日(69歳没)
井沢八郎さんは、青森県弘前市出身の演歌歌手であり、代表曲である「あゝ上野駅」は戦後の日本を代表する名曲として、多くの人に親しまれてきました。
そのハイトーンな美声は、演歌歌手の中でもひときわ目立つものであり、テレビ番組にも多く出演するなどお茶の間のスターそのものでした。
◆「あゝ上野駅」・井沢八郎(YouTubeより)◆
井沢八郎さんは、中学卒業後に演歌歌手を目指し東京に上京し、26歳のときにようやく演歌歌手としてデビューできました。デビュー曲である「男船(1963)」は30万枚を売り上げるほど大ヒットでした。
料亭経営者のご令嬢と結婚したことで、公私ともに幸せな日々となり、一男一女を授かりました。
料亭は「八王子うかい亭」ではないかと言われています。知る人ぞ知るステーキの名店ですね。
その後、八王子に建てた大豪邸はテレビでも紹介されることが多いほど、立派な豪邸であり、誰もが憧れる生活を送っているかと思われていました。
金銭的には裕福な家庭に生まれた娘の工藤夕貴さんでしたが、その幼少期の生活は壮絶なものだったと言います。
工藤夕貴の幼少期:酒乱な父親と意地悪な家政婦
工藤夕貴さんは、世間的には超大物演歌歌手を父にもっており、裕福で誰もが憧れるような環境で育ったのかと思えば、その幼少期は「壮絶な日々」だったことを工藤さん本人が後に語っています。
なんでも、工藤夕貴さんの父である井沢八郎さんは「酒に酔うと別人格にあり、たびたび暴力的に」なる人だったそうです。
母親には物を投げつけて怒り狂い、母親は井沢さんの怒りがおさまるのをただ耐える日々。
工藤さんも3歳のときに井沢さんからソファーに投げつけられた記憶が大人になるまでずっとトラウマだったそうです。
父親は「怖い」存在であり、家でそばにいいる時も緊張が休まることはなかったと後に語っています。
外からは幸せな家庭に見えていた「工藤家」も工藤夕貴さんが小学3年生になる頃には、ご両親が不仲となり、母親が家から追い出されてしまったそうです。
その結果、家事全般を全く他人の「家政婦」が家に来てやってくれたそうですが、工藤夕貴さんはその家政婦からも「いじめ」を受けていたそうです。
原因は、家を追い出された「母親」を思って、その母親を思い続ける工藤夕貴さんが気に食わなかったからだそうです。
夕食がハンバーグのはずが、家族の中で工藤夕貴さんだけ「目玉焼き」が出てきたこともあったそうで、栄養不足のせいか当時は「クラスの中で1,2位を争うほど激ヤセしていた」そうです。
もはや、「いじめ」というより、「虐待」ですよね。
家の中では居場所のない工藤夕貴さんは、そこから中学生まで地獄の日々に耐えていたそうですが、12歳のときに渋谷で芸能事務所にスカウトされ、アイドルとしてデビューしたことをキッカケに、人生が好転していきました。
当初は「七光と思われたくない」と、父親が井沢さんであることを公表していなかったのです。
工藤夕貴さんは、日本でも絶大な人気を誇るアイドルとなったあと、1995年にハリウッドで女優活動を始め、同年にはハワイ在住のサラリーマンと結婚したものの3年で離婚、2005年には父の病気をキッカケに日本に帰国し、晩年は井沢八郎さんと和解できたそうです。
プライベートでは、2010年に公務員で武闘家の7歳年上の男性と再婚し、現在は幸せに暮らしているようですね。最近は、テレビドラマ「下町ロケット」にも出演していましたね!
井沢八郎の不祥事とは|再婚と病の晩年
酒乱な井沢八郎さんは、家庭内での暴力的な振る舞いだけでなく、その他にも「不祥事」を起こしていたことがわかっています。
1983年には、交通違反を起こしたにもかかわらず不出頭、1985年にはデートクラブで16歳の女性を買収して淫行に及んだと言われています。
デートクラブが売春防止法で摘発された際、逮捕された少女がお客の中に井沢さんがいたと供述したことで発覚しました。
井沢さんは少女に対して「私にはアンタと同じくらいの年の娘がいる。タレントの工藤夕貴だ」などと話したといいます。
井沢さんは「そんな若い人と思わなかったものですから」と釈明し、愛知県警の取り調べを受けたものの、オトガメなしで終わりました。
さらに、その2年後には「隠し子」の存在も明らかとなり、スキャンダルのため一時期は芸能活動を休止せざるを得ない状況でした。
結局、1989年には別居中だった奥様とも離婚に至りました。1992年、工藤さんの母は工藤さんの事務所社長と再婚したようです。
また、1994年には青羽美代子(あおばみよこ)さんと再婚し、晩年に侵された食道がんで2007年に逝去するまで連れ添いました。
青羽美代子さんは、声優さんであり、井沢八郎さんとは25歳も年が離れていました。
工藤夕貴さんは、当時、再婚相手の青羽美代子さんと面会拒否したそうです。
ドラゴンボールや北斗の拳などにも声優として出演していたようですね。
現在は、朗読の仕事をメインでやられているようです。
青羽美代子さん
2005年の67歳のときには、井沢八郎さんに「食道がん」が見つかりました。
手術を受け、治療に励みましたが、2007年1月17日にお亡くなりになりました。
命日は、娘の工藤夕貴さんの誕生日であり、もはや声を出すのもやっとの状態で、絞り出したのが「お誕生日おめでとう」という言葉だったそうです。
思いもよらぬ父の言葉に「そのために生きててくれてたんだ。私の誕生日まで頑張ってくれたんだ」と「たまらない気持ちになった」と工藤夕貴さんは当時を振り返えっています。
まとめ
工藤夕貴さんの父親である井沢八郎さんの壮絶な生涯をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
はたから見れば、華やかな暮らしをしているように見える芸能人も、見えていない一面をもっていたことがわかりましたね。
井沢八郎さんを知ることで、工藤夕貴さんの人生も違った側面から知ることができました。
晩年は、親子関係が良好であり、わかり合うことが出来たことはなによりも良かったです。