2019年世界バレー女子日本代表の「古賀紗理那」選手の経歴やプロフィールを小学校、中学校、高校時代を振り返りながら、ご紹介していきます。バレーをはじめたキッカケは何だったのでしょうか?
また、古賀選手が経験した過去の怪我や、幼少期や学生時代の昔の画像もお見せしていきます。
【女子バレー】古賀紗理那の経歴とプロフィール
古賀紗理那選手の現在のプロフィールをはじめに紹介します。
古賀紗理那の現在のプロフィール
生年月日: 1996年5月21日(23歳:2019年9月時点)
出身地 :佐賀県神埼郡
身長 :180cm
体重 :66kg
選手情報
所属: NECレッドロケッツ
愛称 :サリナ
ポジション: WS
指高 :235cm
利き手 :右
スパイク 305cm
ブロック 290cm
古賀紗理那の経歴・バレー生活
時系列に、古賀紗理那選手のこれまでのバレー人生の経歴を振り返っていきます。
バレーをはじめたキッカケ
古賀選手がバレーをはじめたキッカケはお父さんの転勤と、お母さんのバレー経験が影響しているようです。
紗理奈さんは6歳の時に、お父さんの転勤で佐賀県から熊本県へ引っ越しすることになりました。
中学、高校時代にバレー経験のあるお母さんは、「女の子が生まれたらバレーをさせたかった」らしく、
引越し先の熊本で、お姉さんの麗那さんとともに、紗理那さんをママさんバレーに連れていったようです。
そのうち紗里那さんもバレーに興味をもつようになり、小学2年生のとき地元のジュニアバレーチームに所属しました。
小学生時代:負けず嫌い
地元のチームでは、週1、2回の練習をこなし、小2の3月に地元の大会に出場しました。
その大会で古賀選手のチームは、対戦相手の「大津ジュニア」に「0点」で完封負けをしました。
大津ジュニアは、週6日を練習に費やし、厳しい指導の強豪チームでした。
その後、古賀選手は自分から「私もバレー上手くなりたい!」と大津ジュニアへの移籍を希望したそうです。
小3の11月の大会に出場するころには、高学年の小6の選手たちに混じって早くもレシーバーとして出場するほどに成長していました。
小学生時代は、登校前には必ず、20分は庭でトスの練習していたそうです。
小学校卒業の時期には12歳で166cmも身長が伸びたそうです。
中学生時代:MVP受賞し、注目選手に
中学は、地元の大津中学校に進学しました。
中学時代も身長がぐんぐん伸びて、卒業時には、180cmまでに成長しました。
そして、中学3年生のときには、全国大会3位になっています。
さらに、2011年(中学3年)で将来のオリンピック選手候補が集う「JOCジュニアオリンピックカップ」では、木村沙織も受賞した最も将来性が高いと評価された選手に贈られる「JOC・JVAカップ」に選出されたようです!!!
高校進学では、なんと!県内外から7校以上のオファーが届いたそうですが、バレー部でプレーしていた「2つ上の姉・麗那さんと一緒にバレーがしたい!」と、熊本信愛女学院高校へ進学します。
高校生時代①:高1からレギュラー、先輩の存在
高校1年生からレギュラーとなった古賀紗理那選手ですが、先輩たちの中でレギュラーを任されるのは相当のプレッシャーがあったようです。
ところが、ある練習試合で、先輩たちから「紗理那のために、私たちもがんばるよ」と声かけられ、古賀選手は号泣したようです。
バレー強豪校で、試合に出られない先輩も多くいる中で、失敗できないプレッシャーや、エースとして期待されるプレッシャーに押しつぶされそうな中で、先輩たちが自分を信頼して任せてくれているということが分かり、自分との戦いから解放されたのでしょう。
古賀選手も、「先輩たちのために頑張ろう」という心に誓ったといいます。
高校1年生(2012年)でアジアユースの日本代表に選出され、日本の優勝に貢献し、MVPを獲得しています。
そして、高校2年生(2013年)にはなんと、全日本女子の代表に選出されます!17歳という非常に若くして、全日本代表に選出されたことは本人も戸惑っていたようです(笑)
当時のコメント
「(初選出で)思ってもなかったのでビックリしました。どうして選ばれたか考えたんですが、よくわからなかった(笑)。先輩たちについていけるように頑張りたいです。」
その後も、同年に(高校2年生)U-23代表で日本の銅メダル獲得に貢献したりと、高校の外での活躍がめざましくなりました。
高校生時代②:はじめての挫折
日本代表として、世界で活躍していた古賀紗理那選手ですが、高校2年生のときに次期キャプテンに選ばれます。
ところが、周囲をまとめるようなキャラクターではなかった古賀選手は、キャプテンの責務に戸惑う日々を送ります。
日本代表のトップチームでハイレベルの中で、プレーしてきた古賀選手にとって熊本信愛女学院の選手たちに言いたいことはたくさんありましたが、言えなかったのです。
当時の古賀選手の日記には、次のようなことが書いてありました。
「なにも言えずに、気ばっかりつかっている自分にも腹が立つし、自分のプレーのできなさにも腹が立つ。」
「何でキャプテンになったのかもわからない。」
まわりの選手たちにも、古賀選手が物足りななそうにしていることが伝わり、チームの結束は乱れつつありました。
そんなとき、控えの3年生が喝をいれます。次の動画見てください。
この事件をキッカケに、古賀紗理那選手は覚悟が決まったかのように、春高バレーだけに集中することになります。
この時期に、招集のかかった代表の遠征や合宿はすべて断りました。
そして、いよいよ高校最後の春高バレー。
高校生時代③:最後の春高バレーでアクシデント
チームの結束も強まり、一丸となって春高バレー優勝を目指していた熊本信愛女学院に、またもアクシデントがおきます。
レギュラーを含む4人がインフルエンザに感染し、フルメンバーで試合に望むことができず、神奈川の大和南高等学校に2回戦で敗れてしまいます。
高3の古賀選手
なんとも悲運な結末でしたが、古賀選手の精神的な成長には欠かせない出来事だったのではないかと思います。
プロ時代①:NECへ入団
高校卒業後の進路については、Vリーグ8球団の争奪戦が繰り広げられた末に、NECレッドロケッツへの入団が決定します。
2016~17のV・プレミアリーグにおいては、NECの2年ぶり優勝に大きく貢献し、最優秀選手賞及びベスト6賞を獲得しました。
プロ時代②:2016五輪代表を落選で挫折
華々しい社会人生活でしたが、2017年のリオ・オリンピック最終選考で、なんと代表から落選となります。
落選理由は、サーブレシーブが不安定だったことや、攻撃面でもリオ五輪最終予選では力を発揮できなかったことがあげられています。
代表選手一人ひとりに、合否が伝えられていったそうで、「落選」を聞かされた古賀選手の目には涙がありました。
そんな古賀選手を呼び止めたのは、日本代表エースの木村沙織さんでした。
古賀選手にとって、木村沙織さんは1番に目標とする選手です。そんな木村さんから、「ここで埋もれる存在じゃないよ!」と声をかけられ、二人は涙しながら抱き合ったそうです。
一時は、落ち込んでいた古賀選手ですがNECのチームメイトにも励まされながら、この時期に苦手としていた「レシーブ」の強化に取り組みます。
この挫折を利用して、自分の弱点を克服できたことで、2018年現在では、サーブ・レシーブ・アタックどれをとっても世界最高レベルと評されています。
【女子バレー】古賀紗理那の過去の怪我の具合は?→グラチャン落選
2017年9月に「右膝靭帯の炎症」をおこしました。
膝の靭帯は中央と左右の3箇所あり、どの部位の故障なのかまでは明らかになりませんでしたが、跳躍時に膝の折り曲げ運動を使うバレーにおいては非常に負担のかかる部位です。
この結果、2017年9月グラチャンバレーの日本代表から落選するという結果になります。
翌月の2017年10月には試合形式の練習を再開し、10月下旬に始まるVリーグには出場していました。
そこまで大きな怪我ではなかったようで、安心しました!
そして、2018年の9月時点では怪我は完治したようです!今後の競技人生には影響がなそうですね!
【女子バレー】古賀紗理那の幼少期と学生時代の画像
古賀紗理那さんの幼少期と学生時代の画像を紹介していきます!
幼少期
古賀紗理那 選手(1歳)
古賀紗理那 選手(2歳)
学生時代
小学6年生の古賀紗理那 選手(左前)
学生時代は、短髪のショートヘアですこしボーイッシュな印象もありますが、私服などは女の子らしく可愛いですよね!
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まとめ
「古賀紗理那」選手の経歴について、小学校、中学校、高校時代と時系列にご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
また、古賀選手が経験した過去の怪我は、現在では完治しており、今後のバレー競技人生には影響がないことがわかりました。
さらに、幼少期や学生時代の昔の画像をまとめてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
古賀紗理那選手はかわいいだけでなく、今や女子日本代表のエースとして目が離せない選手ですね。